弱小ライターの副業奮闘記

「副業で10万稼ぐ」を目標にライティングを受注している私のスキルアップ奮闘記です。

民族と文明〜グリーンインフェルノ感想〜

ウィルス蔓延により皆様自宅にいることが多くなっていることかと思います。

こんな時には映画を見てみるのも一興。

先日イーライ・ロス監督「グリーンインフェルノ」を見たところ、近頃私が気になっているテーマ「民族と文明」というものを描いた映画でしたので記事にします。

まずはあらすじ

大学に通うジャスティン(ロレンツァ・イッツォ)は講義で“割礼を強いられ、女性が過酷な状態に置かれる野蛮な部族”の存在を知り、国連で弁護士をしている父親が何とかしてくれるはずと訴える。それを知った過激な慈善活動をしている学生グループのメンバーから集会への誘いをうける。気乗りはしなかったが好みのタイプであり、カリスマ性のあるリーダーのアレハンドロ(アリエル・レビ)に惹かれ、参加することに。アレハンドロは消えゆく部族を救う計画を練っていた。ある企業団体が地下天然ガスを狙っており、ペルーにある未開のジャングルが破壊され、そこにいる先住民のヤハ族が危機に瀕しているというのだ。しかし、ジャスティンは軽率な発言をしたことでその集会を追い出されてしまう。  翌朝、反省したジャスティンはアレハンドロに謝り、改めて彼の計画を聞くことにする。その計画とは、現地に乗り込み携帯カメラでその一部始終を撮影、それをネットに上げ てメディアの注目を集める、というものだった。使命感に燃える若者達は現地の状況を調査し、計画を具体的に練り上げていく。撮影に成功したら映像をすぐにTwitterに上げ、 衛星を使ってネットで中継すれば企業団体に勝てると考えていた。ジャスティンは彼の熱意に心打たれ、同行を決意する。  友人のケイシー(スカイ・フェレイラ)が心配する中、ジャスティンは仲間達とセスナ機でペルーへと飛び立っていく。乗り物を乗り継ぎ、現地に着くと彼らは森林伐採をしている作業員たちと同じ作業着に着替え、「戦い」へと備える。彼らがジャングルの奥地へと進んでいくと企業団体を発見、それぞれマスクをかぶり、工事現場を襲撃。カメラで現場を撮影、生中継をしながら「ヤハ族の故郷!自然を壊すな!」と叫び続けた。銃をもった警備員たちが現れ、緊張感が高まるも、アレハンドロはジャスティンが国連職員の娘だということを利用し、企業を糾弾すると、間一髪のところで警備員た ちが銃を取り下げるのだった。  彼らのゲリラ戦は大成功に終えるも、そのまま強制送還される。帰りのセスナ機の中、トレンドに自分たちの動画がトップになり、違法な森林伐採が世に暴露され、世界的に注目を集めたことを知る。しかし、彼らの喜びが頂天に達したとき、セスナ機がエンジントラブルを起こし、アマゾンのど真ん中に墜落してしまう。  事故現場は凄惨なものになっていた。仲間のうち数名は空中でセスナ機から吸い出され、着陸の衝撃で死亡者も出てしまった。命からがら助けを求める彼らの前に人の姿が現 れる。それは体を真っ赤に染めた、彼らが守ろうとしていたヤハ族だった。しかしヤハ族は友好的ではなかった。毒矢で学生らを襲撃し、気絶させ、全員を捕らえてしまう。  気づいた学生たちは目の前で仲間の一人が生きたまま解体され、その肉片を頬張る信じられない光景を見せつけられる。ヤハ族は人間を食べる習慣をもつ食人族だったのだ…。 捕らわれた彼らは一人、また一人と喰われていく─。

引用元(映画『グリーン・インフェルノ』オフィシャルサイト 「STORY」

 

こちらの映画はルッジォデルダート監督作品「食人族」をオマージュした作品。

裸の女性が太い丸太に串刺しにされているDVDのジャケットは衝撃的で、知っている人も多いかもしれません。こちらの映画はB級全開の映画でグロテスクなシーンが見どころのアート映画なのですが、「グリーンインフェルノ」は少し毛色が違います。

基本的にはグロテスクなシーンや、痛いシーンにはかなり凝っており見どころなのですが、それ以上にメッセージ性の強い脚本が私にはささりました。中でも主人公ジャスティンが少数民族に対するポジションが変わっていく様が面白かったです。

 

最初大学の授業中に未開の地に住む部族の女性が受ける女性器切除の儀式「割礼」を知ったジャスティンは部族のこうした儀式を野蛮だ、部族の女性は悲惨な目に遭っていると解釈し怒ります。

この怒りをきっかけにこの後ジャスティンは実際に部族と関わることになります。

同じ授業をとっていた男子生徒に誘われて、学生運動の集会に行ったジャスティンは軽率な発言で集会を一度は追い出されますが、リーダー、アレハンドロを説得してもう一度学生運動に参加するチャンスを得ます。この時もジャスティンは「アフリカの女性の権利」に関心を向けているといい、「割礼」をやめさせたいという立場にいることをリーダーに伝えました。

 

ジャスティンは学生運動に再び参加することになりますが、この時ジャスティンの立場は「部族を守る」立場です。ただし部族の存続を願いつつ、割礼はやめさせたいと思っているので、自分たちに価値観と部族の価値観をある程度合わせようと考えています。

 

結局抗議活動は成功しますが、大使の娘である自分の立場を利用されて危険な目にあったジャスティンはアレハンドロへの不信感を持ちます。

その後飛行機の墜落、部族による捕縛がありました。捕縛された後、ジャスティンは友人が食人される様を目の当たりにし、初めて本当に対面した部族へ強い「恐怖」感じることになります。言葉が通じない、価値観も違う、敵か味方かもわからない、初めての未知との遭遇です。

 

仲間がどんどん死んでいき、自分も割礼の儀式を受ける一歩手前まで行って、ようやくジャスティンはどうにか生き残りますが、保護される直前部族と森林開拓会社が雇った傭兵との戦いに遭遇します。

そこでは銃を持つ傭兵が槍や弓矢しか持たない部族を圧倒的戦力で虐殺をしていました。

今まで自分たちを食ったり、殺そうとしたりしていた部族が殺されている。

また部族の軍事リーダー敵存在だった男性は自分に話しかけている最中に目の前で殺されます。

部族から割礼のための化粧を施されていたためジャスティンは自らも銃を向けられることになりました。

結局自分がアメリカ人であること、国連職員の娘であることを軍人に理解させ、保護されることになり助かったのです。

 

アメリカに戻ったジャスティンは国連の職員たちから部族のことについて聞かれますが、食人のことや友人がされら拷問のことは一切言わず、自分たちを助けてくれた善良な部族だったといい、彼らの住むジャングルの開拓をやめるよう願いました。

この時ジャスティンの立場は「部族を守る」立場ですが、ジャングルに行く前とは違い、儀式や慣習を変えさせようという思いはありません。部族への干渉をしたくない、させたくない、その上で部族の存続を望むという立場かと思います。

未知の存在の理解し難い行為を知ると、文明の中で生きていて自分たちが一番正しい、「道徳的」だと思っている我々はあらゆることを当然のように自分の価値観で考えてしまいます。

例えそれが女性器を切り取るという痛々しい行為であっても、彼ら部族にとっては立派な成人の儀式。一概にやめさせることが正しいとは言い切れないのです。

「文明人」がジャングル奥地や未開の地に資本の元を求めて入っていく、「越境」していなければ、彼らの文化に触れることはありませんでした。

本物の部族を目の当たりにし、また文明が部族を破壊していく様を見てジャスティンが何を思ったのかは語られません。しかし自分にとっては信じ難い行為であっても部族はその行為をやめる必要はないし、やめさせる権利なんか誰ももたないという思いが彼女の中に生まれたのは事実。彼女は命がけの経験を通して、真の「部族を守る」という思いを手に入れたのだ。

 

文明は現代の宗教ともいえる。「文明人」の価値観に合わないものは絶対に正しくないと断罪され幾つもの文化が消えてきた。それで確かに世界中様々な場所が便利にはなった。

しかし先住民はアイデンティティを奪われてでも便利になることを望んでいたか?便利になる必要はあったか?

近頃こうした民族と文明のせめぎ合いや多様性を描いた作品をいくつか見ていたため、この映画はとても興味深かった。

というか最近はこうしたことをテーマにした作品が多い気がする。